カナダ滞在記(2週間)~"当たり前"という概念の違い~
早いもので2週間が過ぎた。
この1週間のうち前半は正直あまり何があったか覚えていない
怠惰な前半を過ごした。またそれも一興だと個人的には思っている。
それでも授業はとても楽しい。
特にInternational Current Eventの授業ではいろんな国の価値観が反映されている。以前の投稿(カナダ滞在記(4日目)~学校がスタート!~)では雰囲気(と言ってもハートブレイクしたけどなんだかんだ楽しいよっていう薄い内容)について書いたので、今回は今週議論した問題のうち一番印象に残ってるものを紹介しようと思う。皆さんにも少し考えてほしい。
その授業で議論した問題は次のようなものだ
・ドラッグを根絶するには?
K2というホームレスでも買えるほど非常に安価なドラッグの問題を議論のトリガーに使った。
「ドラッグなんてなくならない。理由はアルコールがこの世からなくならないのと同じだ。アルコールだって中毒性があり過剰摂取すれば死に至る。その点アルコールだってドラッグだ。そもそも違法か合法かは国によって違うじゃないか。」と言うブラジル人。
「日本では薬物事件なんてニュースになる。薬物使用はほとんどあり得ない。当たり前だ。そういう教育を受けてきたからだ。」と僕が教育の重要性を指摘する。
「私はマリファナをしたことがある。誰でも一度は手を出したはず。当たり前でしょ。けどあれはドラッグじゃない。一回吸ってむせた。あんなもの何も気持ちよくならない。二度と使わない。」とコロンビア人。
「そっちかよ!」と心の中で突っ込んだが、その人は続けざまに
「そこはあまりどうでもいいけど、言いたかったのは、私はマリファナをしたことがある。学校でしてはいけないという"教育"を受けた。では私と日本人の違いはどこから来たのか、ということだ。」
ここから先は皆さんの中で考えてほしい。(超長文になることが明白)
内容的に同じ教育を受けた人が一方はドラッグ使用をあり得ないと言い、他方は私は使ったことがあると言ってるのだ。この違いはどこから来ているのか。
そして、そういったものを踏まえた上で、ドラッグを根絶するにはどうすべきなのか。
その他、"金で幸福を買えるか?"、"クレジットカードを普及させるには?"などなど多種多様な興味深い内容について話し合った。
"当たり前"という概念が違う。
"当たり前"とは非常に相対的な概念であり、育った環境によっても影響を受けるものである。"当たり前"と言われる行為は、時として理想や期待に近いものである。
これだけ曖昧な言葉なので、日本にいてもその違いを感じることがあったが、トロントに来て如実にそれが現われていて、また体感している。
違う国籍で異なる文化、バックグラウンドを持った人たちと議論するのは、時として水掛け論(こうした概念の違いに起因するものや、マリファナが合法だ違法だなど)になりかねないが、この水掛け論にも意味があるように思える。
大きく異なる価値観を受け入れるチャンスにもなるからだ。
昔見たアメリカの心理学者Meg Jayのスピーチ"Why 30 is not the new 20"の中で、彼女は次のように言っている。
20代は今後の価値観を創造することができる重要な期間
これが本当ならば、このようなチャンスを逃すわけにはいかない。
明日からまた学校だ。
今週はいろんなお祭りも開かれていたので、近いうちにそれについても投稿しようと思う。
それでは、また。